のーたいとる(2022-05-03版)

前半は今日の明け方(クラブ明け)に書いて、後半は投稿直前に書きました


今日のクラブ、君の知らない物語がかかって最高だったんだけど、同時にその場で表現できることの限界を知ったというか、どれだけ良くても虚空に消えていく喜びを投げるような、そんな気持ちを少しだけ感じた。
あの場所にいた人たち、DJもそうだけど、多分あの瞬間は最高だったしみんなこの曲を聴いて盛り上がって楽しいと思ったとは思う。
けどそれだけというとそれだけで、これよりも楽しむ方法というか、これよりも良さを表現することは難しいのかもな〜と思った。
もちろんコミュニティとして、知り合いとかその場で知り合った人とショットを飲むとかいい曲を語るとか、そういう方向の楽しみ方はあるかもなと思ったんだけど、音楽を聴く場所としての楽しみ方はここから何があるのかなと思ったりした。
箱が変わったりしたら少しの違いはあると思うけど、極端な話、あの良さの本質ってなんだろなとか思うところはあった。

たしかにクソ楽しいんだけど、クソ楽しいに収束するだけとも言えて、それは最近LoLをやることに対しても思っていること。
もはやそれを許容するかは生き方なような気がしていて、私はどうやって一日を過ごしたいんだろう。


今はゲームを作っているところなんだけど、これもゲームを作ることがゴールではなくて、きっとゲームを楽しむことや、更にそれを良くして行って、更に楽しむことがゴールだと思う。
でも、結局それも楽しむためでしかなくて、一体私はどうやって死にたくて毎日を過ごしているんだろうとよくわからなくなってきてしまった。
生産性至上主義とも言うような思想を持っていたんだけど、そもそも生産することって快適に生きていくための何かでしかないんですよね。
じゃあ今の世界が快適じゃないのかというとそんなことはなく快適で、私の生産でそれがより良くなるかというと可処分時間を考えると変わらないか、むしろ生産フェーズがデカくてマイナスだったりするんじゃないのって思ったりしてしまう。

うーん、『死ぬほど楽しいことをまだ味わっていない』のかな。私が生産したもので楽しめたらそれは何をも凌駕してくれて、言葉の通り、すべての終わりを迎えるような気持ちで楽しめるんだろうか。
でもそうでなくちゃ、私がモノを作る理由がなくなってしまいそうな気がした。
私が「モノを作りたい」を思う気持ちを論理的に否定される前に、逃げなければ。酔狂でなくちゃやってられない。

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